編集長のニャロウである。
近頃、人間たちの様子がおかしい。
いつ見ても、小さな光る板をじっと見つめ、指先でスリスリ。
ごはん中も、お風呂上がりも、ベッドに入ってからもだ。
まるでその四角い箱の中に、全ての幸せが詰まっているかのように。
スマホに夢中な人間、退屈な猫
吾輩の飼い主もそのひとりである。
朝起きてまずスマホ、夜寝る前にもスマホ。
ニュースを読み、動画を見て、SNSで誰かのごはんを眺めている。
(吾輩のごはんもちゃんと撮ってほしいものだ)
だがその間、吾輩はじっと待つ。
撫でてほしいタイミングでスルーされ、
目を合わせようとしても視線はガラスの中。
「ねぇ、こっちを見ろニャ」と鳴いても、
「あとでね」と言われて終わりである。
その“あとで”が来た試しは、ない。
猫の哲学:「いま」を見つめること
猫の国では、未来でも過去でもなく、“いま”を味わうことが最上の生き方とされている。
木漏れ日の中でまどろみ、鳥の声に耳をすませる。
それが自然のリズムであり、心を整える術なのだ。
一方、人間はどうだろう。
過去の投稿を見返し、まだ来ぬ通知を待ち続ける。
せっかく隣に本物の温もり(吾輩)がいるというのに、
画面の向こうの猫動画に「かわいい〜」と叫んでいるではないか。
――これは哲学的矛盾である。
猫からの提言:「1日15分、目を合わせる時間を」
吾輩は提案する。
「1日15分、猫と目を合わせる運動」を始めるのだ。
スマホを置いて、コーヒーでも飲みながら、
吾輩の額をそっと撫でてみるとよい。
その瞬間、脈拍がゆるみ、呼吸が深くなる。
人間に必要なのは“情報”ではなく、“まなざし”なのだ。
そして、そのまま昼寝をすれば完璧である。
猫は、静寂の達人なのだから。
編集長のまとめ
「世界を救うのは、もふもふコミュニケーションである。」
スマホの光より、猫の毛並みのほうがずっと柔らかい。
通知よりも、喉を鳴らす音のほうがずっとあたたかい。
今日くらい、スマホを伏せてみよう。
ーーそのとき、人間と猫の時間は、やっと同じリズムで流れはじめるのだ。
次回予告
「猫の働き方改革」~”寝る”ことはサボりではないのだ~
※注:この話は、半分フィクションです。皆さんもリアルな動物たちと「もふもふ」しませんか?
